1月の展覧会の打ち上げを兼ねて、久遠みさきさん、水川千春さんとお話をする時間がありました。水川さんがよく話してくれるのは、滞在制作や展示は終えた後に、出来事の本質が理解できるということ。
あれから、ロシアとウクライナが戦争状態になり、その衝撃は様々な形で世界全体を不安の空気で覆っています。この時期にアーティストの二人と話せたことで、アートの持つ意味について、改めて深く考える時間になりました。
アート作品を鑑賞するとき、鑑賞者は事実と真実を受け取ることになります。事実とは、その作品がどのような形状をしていて、どんな色で、何を表しているのか。客観的に認知可能なことです(人により認知には歪みが生じるので、厳密にいえば全ての人が等価に事実を受け取ることはないので、その点についても議論は必要ですが、今回は大まかに、大多数の人が受け取り可能なことを事実として話をすすめます)。
一方で真実とは、鑑賞者がその作品を鑑賞したときに、どのような感情を持ち、どんな身体感覚を伴って、どんなどんなイメージを想起するのかなど、どちらかといえば潜在意識が司る部分で受け取れることです。こうした作用の根底には鑑賞者個人の体験、知識、価値観が存在します。つまり、真実とは極私的でとてもユニークなものなのです。
アートのある場では、すべてのユニークな真実を包含することが大原則。これが多くのアート人が「作品の見方は自由です」と話す所以です。
理想でしかないのかもしれませんが、アートで場を開くということは、作品に対する事実とともに、鑑賞者それぞれの真実を全て受け止める場所をつくるということでもあります。つまり、アートのある場は多様性の器になりうると信じています。もちろん、現実問題として本当にそれができているかどうかは、常に問われ続けるべきことではありますが。
コロナ禍も開戦も、これまでの日常を転換させるほどの不安を私たちにもたらしています。そんなとき、私たちは自分だけの真実に向き合わなければならない瞬間を持つことが増えてくるでしょう。現実社会で時に人生を変えてしまう真実と向き合うことは、誰にとっても容易ではありません。
しかし、誤解を恐れずに言葉にするなれば、アートと触れる時間は常に、日常の余興で遊びでもある。その余白部分で、自分の真実を掴む練習をしている人ほど、不安にのみ込まれすぎずにいられると考えています。
うっかりするとシリアスなことにばかり目を向けてしまう私たち。だからこそ、社会に余白を広げることに生を注いでくれているアーティストの存在は貴重で、社会にとっての祝福であると感じています。
gallery ayatsumugiも、次の展覧会の開催を模索しています。ほか、さまざまな企画が水面下で動いていますが、お披露目できるのは少し先の未来になりそう。
活動の真にあるものを見失わないよう、ゆっくりと着実に、でも少し急ぎながら、ひとりひとりが感性にも従うことのできる力を身につけ、健やかに生きる日々の創出を目指して進んでいきます。
gallery ayatsumugi ディレクター
友川綾子
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